【SS】大正少女楽団小話 第二巻

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90件の返信スレッドを表示中
    • 1 名前:大正 ID:yNzA4MmN[] 返信

      お久し振りです。1ヶ月以上(約2ヶ月:76日)放置して書き込めなくなった作者です。




      このssは前作(大正少女楽団小話)の続きとなっております。
      https://bang-dream-ch-bbs.com/forums/topic/44466/

      各話は個別に読んでもなるべく面白いものでありたいと思っていますが、
      もしよろしければ前作もご覧下さい。



    • 2 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      このssは、歴史オタクによる
      もし100年前に彼女達が居たらと言う妄想です。

      思い付き次第、ちまちまと書いていくつもりです。
      出来る限り色々調べて、なるべく歴史的におかしくないようにしているつもりですが、突っ込みどころがあったらお教え下さい。




      現在は1920年の夏が舞台となっています。
      また、日付を(前作の途中から)各話冒頭に表しています。



    • 3 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      前作からここまで読んで下さっている皆さん、
      待って下さっていた皆さん、
      本当にありがとうございます。

      正直この新しいスレををいつ作るかかなり悩みましたが、
      ある程度の書き溜めも出来、リアルの予定を見ても恐らく1ヶ月以上間隔が開くことも無いだろうと考え、
      立てることとしました。
      (どんなに遅くとも次は1月の中旬には上げられると思います。)

      それに、もしかしたら今歴史を勉強している方の応援になるかもしれないと考えて……。ゴニョゴニョ
      (受験生でこそありませんが、自分も人のことを心配している場合じゃないんですけどね。)

      出来る限り2020年中に1920年のネタは消化したいと思っていましたが……、この感じだと3月辺りになるのかな……。
      一応1921年以降も書きたいとは思っては居ましたが、追い付けるかな……。
      誕生日を祝い出したら全員分やりたくなってしまったんです……。
      (そして幸いなことにネタが飽和しています。)



    • 4 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      前作の大まかなまとめ
      番号は各話の本編開始が前スレのどこに在るかを示してます。
      ポジティブに考えれば、そこそこ書き込んだ量も増えていたので、
      まとめたり新スレを立てたりする良いきっかけにはなった……のかな?




      ポピパ回     1~
      パスパレ回    7~
      ハロハピ回    20~
      アフロ回     36~
      Roselia回    48~
      あこ誕      55~
      香澄誕      61~
      六花誕      77~
      はぐみ誕     81~
      こころ誕     85~
      モニカ回     91~

      旅行編
      電車回     108~
      甲子園到着回  110~
      リサゆき(単発)回 118~
      準決勝観戦回  125~
      宝塚回     138~



    • 5 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      前回の返信


      2NmQ3NGMさん、
      返信が前作で出来ずすみませんでした。
      人に注目するミクロな歴史の見方も面白いですよね!
      歴史って人が関わった記録・ストーリーですし、
      突き詰めていったら“人”に行き着きますし!
      (ただの興奮する歴史オタクと化した作者)



    • 6 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      前回までのあらすじ
      ポピパ(+α)による甲子園観戦もとい兵庫(摂津)観光(ポピパ視点)
      甲子園から宝塚をハシゴ
      宝塚は儚かった(ちゃんと儚く出来てるか怪しいですが)

      さて、長々と失礼しました。
      前回の続きからです。
      久々なので張り切って作らせて頂きました。



    • 7 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      8月19日


      歌に踊りに往き還る、歩み進んだ二人道。

      「ピー期生、市ヶ谷有咲。最後まで付きおうてもらうで!」

      「ポジション・ゼロ!」
      凸オオキニアリガトー

      チャリーン
      「ん?」

      チャリーンッ
      「って、十円!?」ガバッ

      「あ、有咲起きた。」

      「おはよう。有咲ちゃん。」

      「……夢?」



    • 8 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「おはよう有咲。一応おたえの実験は成功したのかな?」

      「実験……?」

      「どれだけ小さい音で有咲を起こせるかと思って、
      ギリギリ起こせそうなお金を耳元に落としてみたんだ。」

      「おたえちゃんの予想した以上の反応だったね。」

      「ちなみにこれが有咲の飛び起きた“十円”だよ。」ニヤニヤ

      一銭

      「……。」



    • 9 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「……。もう帰らせて頂きますー。」フトンクルマリ

      「ごめん有咲!からかいすぎた!」

      「有咲ちゃんっ!機嫌直して!」

      「無理だ!流石に恥ずかしすぎる!//」

      ギャーギャー

      「んぅ?みんなおはよー……?」

      「zzz」(二度寝)



    • 10 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      通貨の解説ですが、張り切り過ぎて非常に長いです。
      (本当はもっともっと長かったのを
      ばっさりカットしまくってなんとかこの長さにまで収めたんです……。)




      戦前は圓(円)の下に錢(銭)・厘と言う補助単位がありました。
      (ドルに対するセントに相当)
      1円=100銭、1銭=10厘であるため、
      1銭は10円の1/1000の額です。

      当時発行されていた硬貨の種類には
      金貨(5円,10円,20円)、銀貨(10銭,20銭,50銭)
      白銅貨(5銭)、青銅貨(5厘,1銭)がありました。
      他にも、鋳造はされなくなったが使えた硬貨
      (額があまりに細か過ぎた1厘等)も在りました。
      (確かに現在も消費税での端数がもし無ければ
      1円玉ってそんなに使わないような……。)

      現在の10円玉が青銅貨であるため、
      折角宝塚回やったことだし、とやりたくなった
      スタァライトネタに絡めてみました。

      ちなみにこの頃は、
      寛永通寶(寛永通宝)や文久永寶(文久永宝)といった
      江戸時代の通貨も一応使えたようです。
      なお、ほとんど流通はしていなかったようです。
      (昭和28年(1953年)12月31日まで有効。
      小額通貨整理法により銭・厘の通貨とともに効力を失う。)




      この頃は通貨の歴史から見ると、
      第一次世界大戦(WW1)の影響でインフレが起き、
      銀の価値が高騰し続け、その対処に追われた時代でした。
      (銀貨自体に額面以上の価値があり、
      鋳潰して銀塊として売っちゃう方が得だった。)

      鋳造・流通が困難な銀貨の代わりとして
      政府発行の紙幣(少額政府紙幣)が臨時に作られたり、
      この直ぐ後(8月27日)に貨幣法が改正され
      上がり過ぎた銀貨の質を下げる試みがされたりしました。




      歴史の授業で出るような内容では、
      当時は戦争(WW1)に伴って
      金輸出が制限(事実上停止)されていました。
      しかし、戦争終結後も戦後恐慌や、関東大震災による動揺から、
      日本では金解禁がなされない状態が続きます。
      そして、他国が次々と金解禁する中、
      列強(五大国)で唯一金解禁をしていない国となりました。

      金の輸出を自由化し金本位制に名実ともに復帰するか否か、
      また仮に金解禁するにも金に対する円の価値をどう設定するかで揉め、
      その後帝国議会で長い間議論されます。
      (管理通貨制は通貨を発行し易く、通貨が必要な際には得で、
      一方、金本位制は円安・円高といった国際収支が安定し易い、
      と言うメリットがそれぞれある。)

      議論の末、金解禁は昭和に入ってからなされました。
      (濱口雄幸内閣)

      しかし、結果として大不況を招いてしまい
      (世界恐慌をもろに食らい金が流出しまくった)
      直後(翌年の犬養毅内閣)に再び金の輸出は停止されました。
      (名目上は許可制)

      そして、現在に至ります。
      (明治から長らく名目上は金本位制、
      昭和63年(1988年)に正式に管理通貨制へ移行)



    • 11 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「朝から最悪だ……。」

      「あはは、ごめんってば。」

      「しかもいつの間にかおたえはがっつり二度寝してたし。」

      「何か満足したらまた眠くなっちゃって。」

      「それにしてもよくあんな時間に目が覚めたね?」

      「二度寝しても余裕の有る時間っていくらなんでも早過ぎない?」

      「時間を遡りでもしたのか?」

      「そうなの?」

      「私に聞くんじゃねえ!」



    • 12 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「Hey!」

      「あ、玉出だ。」

      「ワタシは珠手だしアンタはチュチュ呼びでしょう!」

      「どうしたの珠手?」

      「……待ち合わせ時間に遅刻しておきながら見上げた態度ね。」

      「え?5分前だろ?」

      「……皆さんの時計、20分位ズレてます。」

      「とりあえずパレオとマスキングには先に席を「ええー!?じゃあ、試合もう始まっちゃう!?」ダッ!!

      「大変だ!遅刻する!」ダッ!!

      「「あ、ちょっと、香澄!?/花ちゃん!?/香澄先輩とおたえ先輩!?」」ダッ!ダッ!ダッ!アタシ

      「「」」




      「……。あれって、もうほとんど不思議の国のアリスね……。」タッ

      「白ウサギ……。」ダッ!

      (イメージ(うさみみ)「急がなきゃったら、急がなきゃ!」)ダッ!



    • 13 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      玉出 不明
      かなり古くからある地名で、
      当時は玉出町が在りました。
      (のちに西成郡ごと大阪市に編入)

      スーパー玉出 昭和53年(1978年)
      「文字にしないと“珠手”なのか“玉出”なのか判らないね!」

      時計
      当時は機械式時計の時代でした。
      (それでも普通に使ってれば
      1日に3秒位のズレで済むはずです。)
      また腕時計も既に在り、
      第一次世界大戦を機に普及が進みました。
      (国産のも在りました。)

      水晶時計(クオーツ時計)はもう少し後の時代の発売です。
      (一般に使われる時計は
      機械→水晶のみ→電波(水晶を原子時計の情報で自動補正)
      の順に出来、精度が良くなっていきました。)




      不思議の國(邦訳版アリス) 大正9年(1920年)
      原作(不思議の国のアリス)が書かれたのは1865年、
      邦訳(日本風アレンジ)は明治41年(1908年)に、
      (続編の『鏡の国のアリス』の方が先に
      日本ではアレンジ訳された(明治32年(1899年))
      そして本格的な邦訳は
      大正9年(1920年)(恐らく2月11日)に書かれました。




      西松屋(うさぎのあれ) 昭和31年(1956年)
      西松屋(呉服店)の一部門(宮詣り・出産準備品を取り扱う部門)
      として設立されました。あくまで上のあれはイメージです。
      なお呉服店の方の西松屋は
      明治12年(1879年)姫路にて創業です。(当時は松屋と言う名前)
      (それにしてもあのうさぎ(ミミちゃん)はいつから居たんでしょう?)
      (関西枠) (うさぎ枠)



    • 14 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      一旦今回はここまでにします。
      駄目だ……、久々でミスが目立つ……。
      書き溜めが思った以上にかなり有るので
      しばらくは困らなそうです。
      今週中に進めるだけ進めるつもりです。
      (がっつり進められるのは来年ですね。)

      裏で進めていたssも再開すべきでしょうか……?



    • 15 名前:匿名スタッフさん ID:2NjQ1M2Z[] 返信

      待ち望んでた!
      嬉しい…嬉しい…



    • 16 名前:匿名スタッフさん ID:mZWY1NzZ[] 返信

      西松屋ってそんなに歴史あるんや…



    • 17 名前:匿名スタッフさん ID:jNGM4MWE[] 返信

      玉出と聞くと激安スーパーが思い浮かぶ



    • 18 名前:匿名スタッフさん ID:2NmQ3NGM[] 返信

      復活嬉しい!
      こういう趣味の延長で知識が身に付きそうなの読んでてて楽しい



    • 19 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      皆さん……、本当にありがとうございます。涙




      >>15さん、
      ありがとうございます!
      まさか書き込めなくなるとは……。笑
      何とかリアルの合間を縫って続けてみます!

      >>16さん、
      思い付きで調べてみて自分も驚きました。笑
      自分は関西に縁がないので、呉服屋の方が在ることも初めて知り驚きました。

      >>17さん、
      ストーリーを立ててたらチュチュが出てきて、
      「あ、“玉出”やるか、実物見たことないけど。」
      と思い付きでやってしまいました。
      (でも結果的に西松屋まで連想させてくれたので
      チュチュに感謝です。)

      >>18さん、
      ありがとうございます!
      自分もこのssを楽しみながら作らせて頂いているので、
      そう言って下さり嬉しいです!
      (そしてつい楽しくて推敲に時間を掛け過ぎてしまうんですよね。
      史料を新しく見つけたり、より読み易い文章を考えたり。)



    • 20 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      結局2回しか投稿できずすみません。
      思っていたよりもリアルが大変で……。
      投稿しようと思い立っていざ開いて寝落ちたり、
      やっぱり推敲しようと確認している間に寝落ちたり、
      そんなこんなで気が付いたら日曜日になってしまいました……。
      (本当は忙しい自慢みたいになるので、
      忙しいなんて言わずさらっと投稿したいのですが
      とても自分の能力では無理でした……。)

      2週間後にはギリギリ投稿出来ると思います。
      (ここからめちゃくちゃ真面目に理系してきます。)

      前に裏でやっていた物は、一先ずしっかりと落ち着いてから
      改めて考えることにしました。
      とても今の忙しさではあのテンションをやれる自信が……。




      あと、丸山誕生日なのに全く出番がないため、
      せめてここだけでも出演させときます。

      「丸山呼び!?……え、って、私出番無いの?……当分無い?
      ……まだ決まってないけど恐らく当分?」

      「……トウブンナイ。……。」

      「……え!?今直ぐ出番!?」

      「え、えっと……。そ、それでは本「本編開始です!」

      「にゃんで!?あ、本編どうぞっ!」
      <ちょっと沙綾ちゃん!?(じゃれつき山)

      茶番を失礼しました。本編開始です。



    • 21 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      8月19日(前回の続き)


      「よし、間に合──??「わ、わっ!?」

      「!?」

      「ご、ごめんなさい!」

      ??「い、いえ……、こちらも急いでたの「って、ましろちゃん!?」

      「え……、か、香澄さん!?」

      「おーいシローっ!早く来「あ。」ドーン

      「透子ちゃん!?/おたえ!?」




      「間一髪だったねっ!」クッションガ ウシロニ イテクレテ ヨカッター。

      「避けられてよかったです!
      しかも、お互い後ろに居たクッションのおかげで、
      全っ然、ミクロンも痛くはなかったですね!」
      モッチー モッチー シアワセダー♪

      「「誰がクッションや。」」








      エアバッグ 1919年(大正8年)
      発明当初はエアクッションと呼ばれていたそうです。
      (イギリスの歯科医が大戦中に開発し1920に特許取得。)
      車に使われ出すのはもう少し後の1952年(昭和27年)のことです。



    • 22 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「ましろちゃん!?何でおるん!?」

      「ロックさん!?」

      「みなさんごきげんよ~。
      ……あれ、シロちゃん、つーちゃんは?」

      「あれ?さっきまで一緒だったのに!?」

      「みんなー!さっきそこでつくし拾ったよ!」

      「ごきげんよう……ぱたり。」

      「一応夏よ!アンタ達、元気有り過ぎでしょ
      ……ぱたり。」

      「チュチュ様ーーーーっ!」
      (チュチュを察知して飛び出して来た)

      (※もうクリスマス過ぎの年末なのに、
      このssは真夏を舞台にしています!)



    • 23 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「まさか行き先が同じでしたとは。」
      ココニイルリユウハ、カクカクシカジカデシテ。

      「こんな偶然あるんだねー。」
      チョコレートモグモグナンダネー。

      「あ、そうだ、ましろちゃん用に付けとる
      ポピパさんの旅行記(前に電車で書いてたの)
      もう必要無いよね?」

      「そんな、要るよ!」

      「え?でも本人目の前にいるやん?」

      「そ、その……、や、やっぱり文章には文章の良さってものもあるだろうし……、」

      「……そしたら候文で書いたろか?本音は?」

      「……ち、直接聞くなんて、眩し過ぎて消滅しちゃうよ!」

      「……なら仕方ないね。」

      「宇宙を“あまね”く照らす光だもん。」

      「! まさにそうや!世界をと“りこ”にして止まない
      希望、万有引力、そして光の擬人化やもんね!」「うんうん!」

      「「香澄さんは!/ポピパさんは!」」

      「「あ……。/え?……あ。」」
      (↑互いが単推しと箱推しなことを忘れてた)

      「お二人とも~、試合始まったよ~?」

      「ヒップヒップフレーッ!」(当時の応援)



    • 24 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      少し長めの解説が続きます




      候文
      候文は大正だけでなく昭和に入ってもなお、
      私的にも公的にも使われ続けました。
      (昭和13年(1938年)に使われた例在り。)

      私的な物は不明です。
      (今も書こうと思えば書けますしね。)
      一応昭和29年(1954年)に候文で書かれた文は
      確認出来ました。


      なお、少し脱線すると
      当時(大正)は文章の形式の主流が、
      文語体から口語体へ変わり始めた時代で、
      少しずつ、特に教科書等も
      現在のような口語体に置き換わりつつあったようです。
      (明治からの言文一致運動や
      戦後の国語改革を経て現在に至る。)

      国定教科書(義務教育=小学校)では
      明治43年に全体が口語体で書かれた教科書が現れました。

      (Wikipediaには、
      大正9年(1920年)に口語体で全体が書かれた
      中学(旧制中学の意味と思われる)の教科書が現れた
      とありますが、
      調査が足りず裏をとれませんでした。)

      とは言え一応文語体(普通文や候文)も、
      口語体の教科書を使って“習っていた”ようです。
      (普通文:明治の頃主流だった文語体)


      それにしても……、
      ましろっか真面目にやるの難しい……。
      (ついついァ!に逃げたくなります。)



    • 25 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      応援

      当時の応援の形式は
      今のような音楽音楽(応援歌やマーチ)もほとんど無く、
      今のものとは大きく様相が異なりました。

      一応それでも、音楽隊や応援団自体は既に見られました。
      音楽隊は第1回の甲子園(中等学校優勝野球大会)に既に居たようです。
      (なお、応援団は、乱立したり解散したりをしていた。)

      エールは、明治38年(1905年)
      早稲田大学野球部がアメリカ遠征した際に
      輸入されました。
      香澄が言っているカタカナは、元を辿ると
      “Hip Hip Hurrah!”と言うれっきとした英語です。
      (意味はほぼ無い掛け声。)



    • 26 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      まだ解説です

      「以下解説ページを使った余談で、
      裏設定について少し話すねっ!」


      何でモニカが居たのか

      このssの学校について設定を考える際に、
      月ノ森のモデルは慶應女子と言う説を参考にしました。
      そして、この時代(慶應女子は戦後創立)なら
      学校の歴史的に、
      この時代の月ノ森のイメージは
      今ss内で試合をしている
      旧制慶應普通部(に相当する学校)かなと
      設定を考えました。

      もし彼女達が現代の人間でタイムスリップしてこの時代に来ている
      として読むなら、モニカはただの旅行で居ることになりますが、
      実は学校も裏設定が在るという小話です。
      (一応ここで合流することはずっと考えていたことなので
      フラグ(電車回のモニカ等)も立ててました。)

      (←慶應の応援 or 旅行)


      一応裏設定の方は
      ほぼ全員分(高3組の一部を除く)調べ考えてはあります。

      高3組は旧制中学(現在の高校)を既に卒業している年齢なので
      (現在の中1~高2、大学等へ進学する場合は高1までが旧制中学)
      進学しなさそうな人は現状学校の設定を考えていません。


      ただ、学校の話は書き辛そうなので
      今後もほとんど出ないと思います。
      (でもいつか、裏設定をお見せしたいです……!)

      「あ、このssで設定や関係性の解釈は
      高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に変えていく
      ……かもしれない
      って作者は考えているらしいよ!!」

      ただそこまで行き当たりばったりではないです!



    • 27 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      試合後 帰り道


      「天は晴れたり氣は澄みぬ……」
      (慶應の応援歌“天は晴れたり”)

      「はぁ~♪」(にこにこ)ホクホク
      ↑野球見て大満足

      「……あの、あれって「ああ、ほっといていいぞ、どうせ何かの拍子に治るから。」

      「……。今日の試合は、何が勝敗を分けたと思われますか?」

      「やっぱり準決勝だね!あの試合で慶應は延長戦になったから、
      そこで相当体力を消耗したんだと思うよ。」キリッ

      「おー、一瞬で戻った。」

      (Crazy girl…….)



    • 28 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      第6回全国中等学校優勝野球大会決勝戦
      試合結果
      慶應普通部 対 関西学院中学
      0対17で関西学院中学(兵庫代表)の優勝

      スコアボード
        1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
      慶應0 0 0 0 0 0 0 0 0  0
      関西0 0 4 0 7 1 0 5× 17

      「ちなみに、この頃はまだ試合後の
      勝った学校による校歌斉唱は在りませんでした。」
      (↑在ったら歌わせたかったです。(作者))


      センバツ(春の方)では昭和4年(1929年)から、
      夏の甲子園では昭和32年(1957年)から始まりました。




      天は晴れたり 明治39年(1906年)
      自分が調べた中で見付けられた
      数少ない当時在った応援歌です。
      (あとは
      早稲田の応援歌(“見よや早稲田の野球団”等)
      しか見付けられませんでした。)

      多分当時も系列校で大学の曲を使っている……はず。
      関西の方は見付かりませんでした!
      そもそも校歌や応援歌が在ったのかも
      判りませんでした……。



    • 29 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「……あ。」

      「どうしたの、りみ?」

      「えっと、その……、ロックちゃんの書いてくれた本、
      お姉ちゃんに見せられたら、きっと喜ぶだろうなーって……。」

      「献上し申し上げます!」

      「ま、待って!一応でもいいから私に一言先に言わないの!?」

      「「ギャーギャー」」

      「どこかに行かれているのですか?」

      「えっと……、海外に遊学へ「え、めっちゃすごいじゃないですか!」

      「……うん!うちのお姉ちゃんはすごいんや!」

      「でも、向こうに行かれたのもすごい時期なんですね~。」

      「大丈夫だよ!世界規模で風邪が流行ってるだけだから!」

      「それって大丈夫とは言わねーだろ!」

      「あと、この前ハンガリーやトルコも講和したらしいし!」

      「トルコは早速次の戦争やってんじゃない!」

      「あと、時々だけど大丈夫だって連絡も来るんだよ!」

      「だから……、お姉ちゃんは大丈夫なんだよ……きっと。」

      「りみ……。」

      「「……。」」
      「「……。」」
      「「……。」」



    • 30 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      当時の国際情勢

      ・ロシア革命→ロシア内戦(シベリア出兵)
             →革命の輸出(世界革命論)
                   (フィンランド内戦)

      ・スペイン風邪

      ・第一次世界大戦同盟国各国の講和会議

      ・米で禁酒法(1920)
       →アル・カポネ等のギャングが密造酒で台頭
      等々



    • 31 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      スペイン風邪
      大正7年(1918年)3月4日~大正10年(1921年)

      A(H1N1)と言う種類に分類されるインフルエンザです。
      (Aソ連型の仲間)

      なお大正9年(1920年)の時点だと既に欧米では収束しており、
      遅れて感染が広がった日本等の国々が第3波を食らっていました。




      そういえば、第一次世界大戦って、

      ・スペイン風邪
      ・避妊具(性感染症対策として兵士に普及)
      ・フレミング
      (軍医の経験から感染症研究に傾倒、
      のちに世界初の抗生物質であるペニシリン発見)

      と、ぱっと思いつくだけでも
      これだけ感染症絡みのネタがありますね。


      また、抗菌薬の開発史を取り扱った映像で
      以前見たのですが、
      この頃はバラの棘で引っ掻いただけでも
      感染症で死に得る時代であったそうです。

      (実際、軽く調べてもこの時代の抗菌薬は
      今は使われない梅毒の薬(サルバルサン(1910年))しか
      見付からなかったです。)


      医学だけを見ても、薬も治療法も理論も
      この100年で丸っきり
      様変わりしているのかもしれませんね。



    • 32 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      トリアノン条約 大正9年(1920年)6月4日

      ハンガリー王国と連合国との間の講和条約です。
      大幅な領土割譲や多額の賠償が課されました。

      またこの頃ハンガリーは、
      王位の埋まらない状態が続くなど
      非常に混乱した時代でした。
      (これ以上はただの近現代史になりそうなので割愛。)




      セーヴル条約 大正9年(1920年)8月10日

      オスマン帝国(トルコ)と連合国との間の講和条約です。
      大幅な領土割譲が決められ、トルコ人の猛反発を招きました。
      (細かい内容は世界史になると思ったので割愛)




      希土戦争
      アナトリア(トルコの辺り)分割の動きに反発するトルコ人と、
      ギリシャ人居住地域の併合(メガリ・イデア)を主張するギリシャ王国との間で起こりました。

      その後セーヴル条約を許可したスルタン(皇帝)
      革命(トルコ革命)によって廃位され、
      革命で新たに誕生したトルコ共和国と
      連合国の間で改めて
      ローザンヌ条約が結ばれました。
      (ほぼ現在のトルコの国境線が決まった。)


      (青年トルコ革命(1908年)とトルコ革命(1923年)は別物です!)


      ローザンヌ条約はまた適切な機会が来た時にします。
      でも、現在の中東問題にも絡むので
      これはこれで重要なネタですね。



    • 33 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      今回はここまでです。

      もうすぐ受験シーズンであるため、
      受験生の方の応援のつもりも込めて、
      どこまで役立てるかは判りませんが、
      授業や受験に出そうな内容を投稿することを目標に
      この第二巻を急いで作りました。
      結局教科書に在りそうなのは
      最後の国際情勢からの解説部分になってしまいましたが。




      一応合間の時間に色々と考えてはみて、

      (ムスタファ・ケマル・アタテュルク)
      希土戦争を勝利に導いた酒飲み(トルコ人の父)
      トルコ革命で急進的な改革を行う

      なんての(ガルパキャラを使って重要そうな物を解説するの)
      考えてみたのですが、
      脱線して自分がべらべら語るより
      恐らく世の中の教科書の方が受験向きだと悟りました……。

      考えてみたら受験用の歴史(問われるポイント)
      理系の自分が知ってる訳がないですしね。




      自分はただの歴史オタクで、文才も無いため、
      読みにくいところは多々在るかもしれませんが、
      ちまちまと、趣味の一環として、
      このスレが閉じない程度に来年も続けていきたいです。

      これを立てた時に温かく迎えて下さり
      本当に皆さんありがとうございます!


      用事、頑張ってきます!



    • 34 名前:匿名スタッフさん ID:4MDg2YjU[] 返信

      ほしゅ!



    • 35 名前:匿名スタッフさん ID:0ZDczYzI[] 返信

      大変な時期ですが、受験頑張ってください!
      それにしてもバラの棘で死に至るなんて…Roselia、恐ろしい子!



    • 36 名前:匿名スタッフさん ID:hZGFjYTg[] 返信

      アゲアゲ



    • 37 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      皆さんお久し振りです。2週間のつもりがもう1週間以上用事に追われていた作者です。
      更に1週間は流石にマズいと思い急いで作りました。




      皆さん、保守して下さり本当にありがとうございます!
      少し忙しさの見極めが甘かったですが、次の用事まで1ヶ月程、またちまちまと書き出します。
      まだ書くことが出来て、本当に嬉しいです。
      皆さんに支えて頂けていることへのお礼のつもりで、
      また頑張らせて頂きます。


      ただ、このタイミングで復帰すると何だか自分が共通試験を受けたみたいになってしまいますね。

      念の為に言っておくと、自分は受験生ではありません!
      若く見られるのはとても嬉しいですが、
      誤解を招いてしまっていたらすみません!




      実は自分の友人が今年も受験に挑んでいるのですが、
      ここにも受験生のss作者様が居られるようなので、つい重なって見えてしまって……。

      それで受験生の皆さんを応援するつもりで張り切って前回の物を作ったんです。
      (受験生が受験期の猛烈に忙しいであろう時期に、このssを見ているかは置いておいて。)




      何年か前に受験は終えた身ですが、自分も一応、世界史も日本史もABそれぞれの問題に目は通してみました。
      その上でほんの一部ですが、印象に残った物で以前このssでも触れたことのある物を取り上げたいと思います。
      (“せっかく歴史を扱っているssを書いているのが自分だけだから”
      という大義名分のもとの時間稼ぎ)



    • 38 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      >>34さん、
      保守ありがとうございますっ!
      まだまだ執念で書かせて頂きます!




      >>35さん、
      まだまだ受験シーズンが続くので受験生の皆さんは頑張って欲しいですね!
      (自分宛の応援でしたら、ややこしい真似をしてしまい本当にすみません!)

      バラの棘で死んだ人の話は、自分も初めて知った時に衝撃を受けました。
      その人は当時出来たばかりのペニシリンが実験的に投与され、
      投与中“は”劇的に症状が改善したそうです。
      (ただ、当時はまだ精製出来ていた量が少なく、充分な量でなかった)




      >>36さん、
      上げてくださりありがとうございます!
      本当にペースはゆっくりですが、
      最低限の目標(全員分の誕生日にちなんだ話題を書く)は、なんとか遂行したいなぁ……。(遠い目)



    • 39 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      今回は、
      生存報告兼
      少し遅めだけど共通テストに乗っかる回
      (書き溜めを精査・推敲する時間稼ぎ)です。

      なので本編は進まず、解説部分のみの回となります。
      誰得状態だったらごめんなさい!
      近日中に本編の続きは必ず書きます!



    • 40 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      日本史A 第4問 問2
      日本史B 第6問 問2


      「1920年代に活動していた組織として正しいものを選ぶ問題よ。
      前巻のパスパレ回に出て来た、私に絡められたネタに通じる話題ね。」


      消去法を使うなら、選択肢の内、
      “明六社”(明治6年/1873年)や“翼賛政治会”(昭和17年/1942年)は直ぐに外せるとして、
      “全国水平社”か“日本社会党”で少し迷わせる問題だと思います。


      日本社会党は戦前にも在りましたが、それは明治のほんの一時期で(幸徳秋水らの時代)
      この頃の社会主義政党は“日本共産党”(大正10年/1921年結党)が適切です。


      自分も詳しくなかったのですが、“社会党”という名前は古くから在り、“共産党”という名前はロシア革命の“ロシア共産党”に倣って各国に普及していったそうです。


      よって“全国水平社”(大正11年(1922年)結成)が正解となります。



    • 41 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      日本史A 第6問 問4


      「1920年代の娯楽・出版に関する問題です。
      前巻のパスパレ回でのジブンの部分に少し絡んでいると言えるかもしれませんね。」


      ラジオかテレビのどちらが当時の娯楽であり、
      また訳本と円本のどちらが当時出版されていたか、
      を問う問題です。


      当時の娯楽はラジオの時代でした。(テレビは戦後)


      このssでは触れていませんが、
      中村正直による西洋思想の訳本が明治に書かれたとイメージ出来れば、
      1920年代には円本が出版されていた、
      という答えに辿り着けるのではないかと思います。


      もっとも円本は、関東大震災後の、大正時代末の物ですので(大正15年/1926年)
      このssからすると、まだまだ先の未来の代物になります。



    • 42 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      日本史B 第1問 問5


      「日本の貨幣史に関する問題です。……えっと、第二巻の始まりは日本の近代貨幣史でしたね……以上だっ!//」
      (↑一銭(=0.01円)の音を聞き『十円!?』と叫んだ)(>>7)




      ざっくり噛み砕くと、
      “不換紙幣の乱発”、“銀本位制”、“金本位制”
      がどの順番で起こったかを答える問題です。


      内容が明治なので、以前貨幣史を書いた時には削ってしまったのですが、
      日本は“銀本位制”→“金本位制”と切り換えた歴史があります。


      ただ明治の初めは、政策推進に多額の資金が必要ということで不換紙幣の発行も認められており、

      特に、西南戦争の際に乱発されインフレが進行、

      松方正義が、いわゆる松方財政で無理矢理デフレしてインフレを打ち消し

      銀本位制に至った
      という歴史が在ります。



    • 43 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      世界史A 第3問 問2


      「セーヴル条約が出てきた問題です。
      前話(すぐ上の>>29(本編)と>>32(解説))
      めっっっっちゃ少しだけだけど触れています。」




      1913年にギリシャの国王が出した宣言に出てくる“敗れ去った帝国”の歴史について正しいものを選ぶ問題です。


      まずこれが、第一次バルカン戦争について語っており、
      第二次バルカン戦争にギリシャが向かっている中で出された宣言だ、
      と判れば確信をもって、

      もし判らなくとも選択肢の話題からして

      (『第2次ウィーン包囲を実行した。』
      『19世紀前半に,憲法が発布された。』
      『第一次世界大戦に,連合国側で参戦した。』
      『セーヴル条約で,領土を拡大した。』)

      オスマン帝国についての問題だと判断出来ると思います。

      セーヴル条約に参加した帝国なんて
      他には日本や英領インド(非独立国)位しか居ませんしね。


      深く考えずとも素直に『第2次ウィーン包囲を実行した』を正答として選べると思います。

      (これ自体が有名な出来事だと思いますし、
      ミドハト憲法(1876年)は露土戦争(1877~1878年)の頃なので、19世紀前半(ウィーン体制の頃)ではありませんしね。)








      さて、この次が問題です。



    • 44 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      世界史B 第2問 問6




      ア タ テ ュ ル ク
      ( 「上でちらっと出てます。」(>>33))




      書いとけば良かった!滅茶苦茶前回の没案(受験生応援編)用に調べたのに!




      ……とは言え④と即答出来ますね、これ。




      アタテュルクはトルコ語の表記に、従来のアラビア文字を廃止してラテン文字を導入したので

      ④の『トルコ語の表記にアラビア文字を採用した。』が誤りで、

      『トルコ大国民議会を組織した。』
      『ギリシャ軍を撃退した。』
      『カリフ制を廃止した。』は正しい、

      と直ぐに答えられますね。



    • 45 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      以上共通試験の解説?でした。(やっぱりちょっと時期遅れ)




      ちゃんと解いた訳ではないですが、

      与えられた資料をきちんと判断出来ればよく、
      そんなにマニアックな知識は要求していない

      という印象を受けました。

      (適当に何問か選んで解いてみたところ、自分も割と直ぐに正解へ辿り着けました。)


      ざっと見ただけではありますが、それでもこのssに使えそうなネタを仕入れることが出来たので自分としては満足です!
      (次回はちゃんと本編の続きを書きます!)



    • 46 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      作者です。
      少し時間が掛かってしまいましたが、本編の続きです。
      >>29の続きからとなります。
      (日付は8月19日のままです)



    • 47 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「……。」

      「……!」

      「ましろちゃん!ロック!ぎゅ~っ!」

      「「ひゃあっ!?」」

      「何いきなり抱き付いてんだぁ!?香澄!?」

      「ましろちゃん!この旅行の思い出、
      いっぱいいっっっっぱい話してあげるからさ、
      その本、りみりんに譲ってあげてくれない?」

      「香澄ちゃん……!」

      「「香澄……!/香澄先輩……!/香澄さん……!」」



    • 48 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「ましろちゃん!」

      「あ……その……、えっと…………。」

      「……!わ、わかりまし「話は聞かせてもらったわ!」

      (+一同)「「!?」」



    • 49 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「え!?こころん!?」

      「つまり、同じ物がたくさん在ればいいのね!」

      「え、えっと……、」

      「大丈夫よ!ここに居る全員分は急いで作ってしまいましょう!」

      「!」

      「おい!顔に、“実はハナちゃんの部分読みたかったんだーっ♪”って書いてあるぞ!」

      「すっっっっっかり陰薄くなってたけど、
      Poppin’ Partyが絡むとヤベー奴まだ居たわね……。」

      「でも、これで一件落着?ですね。」

      「え、そんなに簡単に出来ちゃうもんなの?」

      「……気にしたら負けよ。」

      (大体20冊……1分で出来るかな~?)

      「ここに居る全員ってそんなに沢山……、
      ……あ、でも、七深ちゃんや瑠唯さんだと
      7.5秒くらいで仕上げられそう……。」



    • 50 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      複写機 1779年
      複写機(コピー機)はワットによる発明ですが、
      最初期のそれは専用の紙でないと複写が出来ない物でした。

      また、製図等で複写をする際に用いられる青写真は
      1842年に発明されたのが始まりで、
      日本では明治40年(1907年)
      青写真の焼き付けがされるようになりました。
      (関東大震災の頃に大活躍)




      印刷機
      印刷自体は7~8世紀に始まり、
      現存する年代が確実に判る最古の印刷物は
      天平宝治8年(764年)~宝亀元年(770年)に作られた
      『百万塔陀羅尼』(日本)です。

      日本の近代洋式印刷は
      安政2年(1856年)8月に長崎奉行所で
      活字版摺立所が開設されたことに始まります。

      なお、コピー機(複写機)とは若干変わりますが、
      撮った写真から版を作り、そこから印刷する技術は既に在りました。
      (網点は1886年にアメリカで実用化されたのが最初)

      また今と同じ様に3色カラーで刷ることも出来ました。
      (日本初の3色刷は明治29年(1896年)に発表)
      (世界初は判りませんでした。)




      活字
      1041頃に北宋の畢昇によって作られた物が、現在最も古い活字です。

      日本に西欧式の活字印刷術が伝わったのは天正18年(1590年)のことです。




      余談ですが、20枚/分は今時のコピー機の大体の速度で、
      20枚を7.5秒、すなわち160枚/分は
      “印刷速度 世界最速”と打って出て来たやつの速さです。



    • 51 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「こころーっ!ぜぇ……ぜぇ……、
      ちょっと、こころ!いきなり人が話しているところに押し掛……あ、(察し)」

      「あら美咲、遅かったわね?」

      「まさか来た道を全速力で引き返すハメになるとは思わなかったんだけどねぇ……。」

      「だって、笑顔じゃないみんなを見掛けたのよ?」

      「だからって走ってる車から突然飛び降りるとは思わないでしょ!」

      「……!?」(えっ、そんなことがあったの!?怖い……。)

      「! あ、えっと……、……、何だか知りませんがウチのこころがお騒がせをしましたー……。」ソソクサー

      「「……。」」








      「「感動の展開を返せ!」」

      「……でもこれで本当に全部解決したね。」コソコソ

      「……せやね♪」コソコソ
      ↑なんだかんだ自分もじっくり読みたかった

      (…………とりあえずまだ2人とも抱いていよっと♪)ギューッ



    • 52 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      少し短いですが、キリがいいので今日の所はここまでです。

      これで旅行回は終わりで、次には舞台が商店街に戻ってます。

      やっと帰らせられた……。
      思い付きで旅行をさせたらこんなに時間が掛かってしまうとは……。




      今日と明日試験の方が、もし居たら頑張って下さい。
      どんなネタが手に入るのかと、受験生でないのに楽しみにしています。



    • 53 名前:匿名スタッフさん ID:yNjE2MmQ[] 返信

      上げ上げ



    • 54 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      お久し振りです。気付けばまた隔週になってしまった作者です。




      ……一応共通テスト第2日程の方も目は通しましたが、今の所特に感想はありません。
      このssに使えそうな目新しいネタが見付からなかったんです……。



    • 55 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      >>53さん、
      上げてくださりありがとうございます。
      2週間が本当にあっという間に過ぎてしまうため、
      保守しこのssを支えて下さることが本当にありがたいです。
      応援ありがとうございます。



    • 56 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      来週に少し用事が有って、その前に少しでも話を進めます。
      (やってみたいネタだらけですし。)




      今回の話は自分の中で元々やることが決まっていて、
      原稿も前々から寝かしてあったものです。




      なのでタイムリーなネタになってしまったのは全くの偶然であり、
      言うなれば貰い事故です。




      では、続きからです。



    • 57 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      8月23日


      「──と、そんなこんなで、ものすごい勢いでこの本を完成させちゃったんだよねー……。」

      「相変わらずすごいね。」

      「でも六花のこの本とってもよく出来てるし、
      もっとじゃんじゃん作って売っちゃっても良さそうじゃない?」
      (読みながら)

      「あはは……、でも流石に可哀想だよ。この前、

      『冷静に考えてみたら、これってえらく恥ずかしいことをしてもうたんじゃ……。』

      「って、唸ってたし。」

      「「あぁー……。」」(同情)



    • 58 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      ガヤガヤ
      「……あれ?外が何だか騒がしい?」

      ガヤガヤ
      「何だろ?」


      ガチャ
      号外!号外っ!
      ガヤガヤガヤガヤ

      「熊谷一彌君、柏尾誠一郎君、万歳!」
      ガヤガヤガヤガヤ
      「「万歳!」」
      ガヤガヤガヤガヤ
      「万歳!!」
      ガヤガヤガヤガヤ
      「「万歳!!」」
      ガヤガヤガヤガヤ
      「キラキラドキドキっ!」
      ガヤガヤガヤガヤ
      「るるるるん!!」
      ガヤガヤガヤガヤ
      「えっ!?なんなん「キラドキっ!」ガヤガヤ
      ガヤガヤガヤガヤ
      「ちょ「るんっ!」ガヤガヤ
      ガヤガヤガヤガヤ





    • 59 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      バタンッ

      「「」」

      「今日、テニスしに出掛ける約束だったよね……?」

      「……もう一度外見てみる?」




      ガチャッ
      「ハッピーラッキースマイルイェイ!」 「悪くないっ!」「ふふーんっ!」 ??「どーんばーんっ!」 ??「す、Sweet?」 ???「2人とも!その人は私じゃないよ!」
      ガヤガヤガヤガヤガヤガヤ
      「「」」
      ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ
      「あっ!つぐ!避難させて!」
      ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ
      「香澄ちゃん!?」



    • 60 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      「いやーっ、全っ然身動き取れなかったから助かったよー!」

      「すごい盛り上がりだけど一体何の騒ぎなの?」

      「何でもオリンピックで凄いことがあったんだって!何があったのかはよく判らないけど!」

      「オリンピックで? ……ん?」


      「「!」」


      シンブーンッ≡
                ゴウガイダヨーッ>


      「「はぁぁぁぁぁあっ!」」バシーンッ
      (テニスラケットで新聞をガード)


      「開いてる窓から入って来た……。」

      「窓を割らない優しい新聞屋さんだったんだね!」



    • 61 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      同時刻外

      ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ
      「ちょっと!そんなに引っ張らなくてもちゃんと号外は渡すわよ!」ギュムーッ!
      ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ
      「というか!ばら撒いて配ってるんだから!そこらへんに落ちてるのでも!拾い!な!さい!って!ば!」グイーーッ!!
      ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ

      「そいやーっ!!」スッポヌケ-!


      「あ。」


      「……号外だよーっ!(≒ゴルフのファーッ!)」



    • 62 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      アントワープ五輪
      1920年(大正9年)4月20日~1920年(大正9年)9月12日




      1920年はオリンピックイヤーで、是非やろうと前々から思っていたネタです。

      この大会ではテニスにおいて、
      熊谷一弥&柏尾誠一郎ペアが男子ダブルスで銀メダルを獲得し、
      熊谷一弥は男子シングルスでも銀メダルを獲得しました。
      (“彌”は“弥”の旧字体)

      これは日本が近代五輪で初めて獲得したオリンピックメダルです。

      8月23日というのは、自分の調べた中で見付けた熊谷準優勝を報せる特電(特別電報)の日付です。




      ちなみに余談ですが当時は綱引きも種目としてあったそうです。
      (なのでちょっとまりなさんで遊びました。)




      この大会は、第一次世界大戦の主戦場の一つとなったベルギーで開かれました。

      ベルギーの立候補自体は1912年(1916年の五輪開催地がベルリンと決まった直後)からで、
      WW1が休戦して直ぐにアントワープでの開催が決定しました。

      “選手宣誓”、“五輪旗掲揚”、“開会式での鳩(平和の象徴)”は
      この大会が最初です。


      またスペイン風邪は、以前にも触れましたが、
      この頃の“欧米では”既に収束していました。




      日本にとってこの大会は2度目のオリンピックで、
      参加国・地域の中で、日本はアジアで唯一の独立国でした。
      (他も英印のみ)

      日本はオリンピックに正式に出場した国としては
      アジアで最初の国です。
      (日本は1912年ストックホルム五輪から参加)

      一応、1900年パリ五輪で、
      イラン代表と英印代表が出場しましたが

      イランはIOC未承認であったため、
      英印(英領インド帝国)は非独立国であるため、
      ここでは除外しました。

      またオスマン帝国(1908年ロンドン五輪から参加)
      ここでは欧州の国として数えました。




      日本の次(2番目)に参加したアジアの国は、

      1924年パリ五輪からの
      トルコ(オスマン帝国時代と組織は同一)
      フィリピン(フィリピン群島政府)(米領で非独立国)
      1936年ロサンゼルス五輪からの中華民国になります。



    • 63 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      今回はここまでとなります。


      最初にも言いましたが、少し用事が有って確実に来週は失踪します。

      早ければ次の土日辺りに挙げられたらと思っていますが、遅れたらすみません。



    • 64 名前:匿名スタッフさん ID:hYjliNTB[] 返信

      綱引きがオリンピックの種目だったのはどこかで見たなぁ



    • 65 名前:匿名スタッフさん ID:2NmQ3NGM[] 返信

      勢いで笑っちゃうw
      やっぱオリンピックとかの祭り(?)があると浮かれるわ



    • 66 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      お久し振りです。のんびり作っていたら若干今回の話を上げる時期を逃した作者です。(←なにやってんだ)



    • 67 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      >>64さん、
      有名なエピソードだったんですね!
      自分はネタを探している時に初めて知りましたが、
      今と違って、とても黎明期って感じのする歴史ですよね!


      >>65さん、
      良かった!ありがとうございます!
      どうにか浮かれた感じを出せないかと悩んだので
      無事に、勢い良くそして騒がしく表現出来て良かったです。



    • 68 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      今回は短めな話を2本投稿します。
      本来なら2/22や2/23に投稿すべきだったネタです。



    • 69 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      8月25日 リサ誕


      「「誕生日おめでとう(ございます)」」

      「お祝いしてくれてありがとー☆プレゼントもありがとうね☆
      ……ところでここは?」

      「弦巻さんに今井さんの誕生日に送る物について相談したところ──
      『それなら、私からもお祝いさせてもらうわ!』

      「──と、ここに来るように言われました。」

      「サーカスの……ステージ……ですよね?」

      「あら、もう来てたのね!」

      「弦巻さん。準備を手伝ってくれてありがとう。助かったわ。」

      「礼には及ばないわ。それより、4人ともこっちに来てくれないかしら?」

      「「?」」

      「ステージに?」

      「……明らかにマジックの仕掛けが在るのですが?」

      「……。ちゃんと4人並んだわね?」

      「え、あの「えい!」




      ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧
      (猫耳装着×4)にゃ~ん


      ∧∧ ∧∧ ∧∧   ∧∧
      (!?) 「!」

      ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧
      ((あれ、これチュチュの……))




      同時刻某所
      「へっくしゅんっ!」   チュチュサマァ!?>



    • 70 名前:うまくいかなかったー! ID:yNzA4MmN[] 返信

      「おー、どうやったか全然判らなかったよ☆」

      「喜んでもらえて何よりだわ!」
      それじゃあ、わたしは今から次のライブの作戦会議に行ってくるわね!」ダダダッ!!!

      ∧∧
      「……、にゃんなのかしら……。」
      (冷静になった)

      「お、気に入ったみたいじゃん☆まんざらでもない感じ?」
      (またたまにしてもらおっ☆)

      (……あれ、これって友希にゃ達がプレゼントってこと?)



    • 71 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      マジック
      B.C.2500年
      最古の壁画?(異論あり)

      B.C.18世紀~B.C.16世紀
      パピルスに記された最古の記録?

      天平7年(735年)
      日本初の記録




      マジックはエジプト中王国時代から記録されており
      日本には奈良時代以前に伝わったと考えられています。

      西洋近代奇術の歴史は、
      1845年にデビューした奇術師、
      ロベール・ウーダン(Jean Eugène Robert-Houdin)(近代奇術の父)を嚆矢とし、
      以来現在のようなエンターテイメントとなります。
      (それまでは妖しい黒魔術や闇の力的な感じだった。)

      日本では明治期に西洋近代奇術が伝わり、
      明治13年(1880年)には
      松旭齋天一(日本近代奇術の父)によって
      天一一座が旗揚げされました。

      当時はテーブルマジック(マジシャンが目の前でやるマジック)は主流でなく、
      大規模に行われるステージマジックが人気を博していました。
      (テーブルマジックは世界恐慌後の1930年頃から広く演じられるようになった。)



    • 72 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      猫耳
      文政10年(1827年)(最も古い記述)
      (なおあくまでこれは日本での歴史であり、
      世界ではどうなのかわかりませんでした。)

      日本における最も古い猫耳についての記述は
      文政10年(1827年)初演の歌舞伎“獨道中五十三驛”で、
      化け猫の役の衣装として使われます。

      しかしそれ以前から化け猫や猫又などの登場する作品は在り、その役を演じるのに猫耳は使われていたと考えられています。

      なお、猫又(猫の妖怪)は明月記における天福元年(1233年)の記述が初出です。
      (つまり、もしかしたら鎌倉時代から猫耳が……?)

      ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧
      (作者が悔しいのでリベンジ)



    • 73 名前:よし、満足! ID:yNzA4MmN[] 返信

      8月31日


      『8月31日は祝日だからハロハピのみんなと出掛けるんだ!
      かーくん達もよかったら来る?』

      「──ってはぐに言ってたからついてきたけど……。」








      /^o^\フッジッサーン




      「何で私達富士山に居るんですか!?」

      「ハロハピピーキーライブよ!」

      「……peaky?」

      「何で発音は流暢なのに単語の意味が解ってない顔してんだよ!」

      「……流石に涼しいわね。」



    • 74 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      天長節


      大正時代は8月31日が天皇誕生日であり、祝日とされました。

      しかし夏真っ盛りで暑く、とても式典どころでないため
      式典を行うための祝日(天長節祝日)も、また別に設けられていました。(10月31日)


      ……ところで初めて知りましたけど“peaky”って
      “頂点の”以外にも“病的な、病気っぽい”って意味もあるんですね。
      (どちらかというと後者の方が主?)



    • 75 名前:匿名スタッフさん ID:yNzA4MmN[] 返信

      はい。各キャラクターの誕生日に因んだネタをやりたくてずっとむずむずしていましたが、ようやく宣言通りやれました!

      ……、でもまだ8月か……。

      多分ですけど、ここからキャラクターの誕生日ばかりになります。


      今回はここまでです。



    • 76 名前:匿名スタッフさん ID:kNjkzMjB[] 返信

      猫耳の歴史とか調べられるの凄すぎるw
      応援しとります



    • 77 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      お久し振りです!バタバタしていたらまさかこんなに間が開くなんて……、富士山の日(2月23日)からもう21日も経ったんですね……。
      ようやく人様に見せられる位に推敲出来たと思うので久々に投稿します!



    • 78 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      >>76さん、
      ありがとうございます!思い付きでしたが調べてみてよかったです!

      調べていると楽しくて、つい夢中になってあれもこれもと調べたくなってしまうんです。笑

      ただ、気が付いたらあまりにも長くなってしまって、必死に削ることになってしまうんですよね……。



    • 79 名前:大正 ID:kYjJmNjg[] 返信

      IDが変わってますが作者です!

      今回はモカ誕生日という話題からイーストで膨らませた回です。



    • 80 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      9月3日 モカ誕


      「ぱくっもぐもぐもぐもぐ……」

      「ほんっと美味しそうに食べるよな~。」

      「みんなの用意してくれたパンが美味しいんだよー。いやー、モカちゃんは実に幸せ者だな~。」

      「でも、いくら誕生日とは言え食べ過ぎじゃない?」

      「あはは、多めに用意したはずなんだけどね。もっと多くても良かったかな?」

      ( 「毎度っ!」←生産者)

      「いや、フランスパンもう5個目だし……流石に心配になるんだけど。」

      「心配してくれるなんて、蘭は優しいな~。そんなにモカちゃんのこと愛してくれてるなんてー。」

      「ちょまっ!?」

      「まあ、いざとなったらいつもの方法でーチラッ「やめて!」



    • 81 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      「もぐもぐ……あ、そう言えばー、パンって脚気にいいんだってねー。」

      「そうなの?」

      「あ、聞いたことある!」

      「ビタミンが足りないとなるんだったか?」

      「そうそう!一応まだ伝染病説や中毒説を推す人も居るみたいだけど、
      ビタミンも発見されたことだしビタミン欠乏症説でほぼ決まりらしいよ!」ツグツグ!

      ( 「(ビタミン)Bの力ですっ!」)

      Bの力を受信した

      「つまりー!モカちゃんがひーちゃんに足りない栄養“も”送れば、ひーちゃんは病気知らずかもしれないんだよ~?」

      「それなら……っていや、“も”はやめてよ!“も”は!」

      「……いつも通りだね!」



    • 82 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      フランスパン


      明治7年(1874) 日本初のフランスパン販売店(チャリ舎)


      日本でフランスパンが普及するのは昭和40年(1965年)とずっと後のことですが、
      明治期に既に製法も伝わっており、長尾鉀二のようにフランス領インドシナでパン修行をした人も居ました。(後の関口フランスパン)

      ちなみに本場フランスでパン留学をする人が現れるのはもう少し先のことです。(大正15年(1926年))



    • 83 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      ビタミン


      明治43年(1910年) 最初の成分発見
      1913年 (大正2年)   ビタミン(vitamine)と命名
      1920年 (大正9年)   ビタミン(vitamin)と改名




      最初に見付かったビタミンはビタミンB₁です。(鈴木梅太郎によるアベリ酸発見)

      その頃、麦や米糠に含まれる脚気を防ぐ物質を見付けるべく世界中で研究が行われていました。

      しかし鈴木の発見(アベリ酸とその後のオリザニン)はあまり注目されませんでした。

      (調べたところ
      “独語論文に抜けがあり海外で注目されなかった”、
      “鈴木が医師や薬学者でなく農芸学者であったため国内でも注目されなかった”
      等、様々な資料が見付かり、はっきりとは判りませんでした。)


      そして代わりに、鈴木と同じ様に脚気に効く物質を探していた
      カシミール・フンク(Casimir Funk)(カジミェシュ・フンク(Kazimierz Funk))が新栄養素を発見したことの方が注目を浴び、

      その時にフンクが名付けた“ビタミン”の語が定着します。
      (鈴木と同じくビタミンB₁を抽出)



    • 84 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      脚気


      初出は葛洪の『肘後備急方』(3世紀)?
      日本では日本書紀(養老4年(720年))?




      今でこそ栄養の偏り(ビタミンB₁欠乏)が原因であると判明していますが、
      原因が判明するまでは
      感染症と考えられたり、何かの中毒であると考えられたりしていました。

      特に当時の日本で脚気は国民病の1つであり、非常に研究が盛んで、原因についての論争がかなり長く続いていました。


      一応現在の感覚から見て効果のあった対処法としては、

      明治17年(1884年)
      高木兼寛(海軍軍医)による海軍食改善、

      明治29年(1896年)
      軍医総監(軍医総監)の土岐頼徳による麦飯配給(なお麦飯の力を信じて勝手にやっちゃった)
      等がありました。

      (余談ですが、陸軍軍医であった森林太郎(森鴎外)は感染症説を信じており、陸軍と海軍で脚気の発症率に差があったそうです。)


      また、明治44年(1911年)には、
      都築甚之助(陸軍軍医)により抗脚気薬アンチベリベリンが開発され、

      大正8年(1919年)には島薗順次郎によって
      オリザニンを用いた脚気治療が行われました。


      この頃には、西洋でビタミンが発見されたことから
      食事原因説が主流となっていました。


      そして大正14年(1925年)になりようやく
      脚気原因論争に終止符が打たれ、ビタミン欠乏説が完全に確定しました。



    • 85 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      今回はここまでです。

      前回から随分と開いてしまいすみません。



    • 86 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      保守!

      急ぎ仕上げます!(作者)



    • 87 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      作者です。

      文章が浮かばずこのような醜い真似(>>86)をしてしまい本当に申し訳ありません。

      時間は掛かってしまいますが、自分の中で考えているゴールまでやり切るつもりです。
      一先ず、この巻では1921年の夏までは書こうと考えています。



    • 88 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      9月15日 つくし誕




      「つーちゃん誕生日おめで……ん~?」

      ((黙々))

      「……るいるい、みんな揃って何やってるの?」

      「この前、天長節だったでしょう?」

      「うんうん。」

      「……3人とも全く教育勅語を知らなかったのよ。」

      「あ~、それで今必死に読んでるんだ~?」

      「ダメだ!全っ然わかんねー!」

      「……普通に学生は知っているはずのものでしょう?」

      (内容を暗記しているのは普通か~。)ホッ

      「でも……、言い方も内容も難し過ぎるよ……。」

      「……。」パタンッ

      「ん?ふーすけ?」

      「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト──」スラスラ
      (↑諳誦)

      「!?」




      最後まで言い切った後正気に戻りました



    • 89 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      教育勅語
      明治23年(1890年)10月60日~昭和23年(1948年)6月19日


      教育勅語は祝祭日の学校儀式で読み上げられていました。
      教育勅語が読み上げられた祝祭日は
      紀元天長両節(2/11と天皇誕生日)
      元始・神嘗・新嘗各祭日(1/3・10/17・11/23)です。

      余談ですが、教育勅語は読み上げ方(抑揚の付け方や雰囲気)も規定されており、
      当時の学校長は相当苦労したのだろうと思います。



    • 90 名前:匿名スタッフさん ID:kYjJmNjg[] 返信

      今日はここまでです。

      本当は3月中に一気に日付を進めたかったのですが、
      全く文章が思い付かず、
      そうこうしているうちにまた忙しくなってしまいました。
      すみません。

      次の投稿も見通しが立っていませんが、何とか仕上げます。



    • 91 名前:匿名スタッフさん ID:2NmQ3NGM[] 返信

      モニカの3バカ?好き
      投稿も気長に楽しみに待ってます〜



90件の返信スレッドを表示中
返信先: 【SS】大正少女楽団小話 第二巻

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